
山口県長門市油谷伊上130
電話: 0837-32-1234
油谷湾の静かな海が遠く中国から楊貴妃が渡ってきた伝説を蘇らす
油谷に残る「楊貴妃伝説」 油谷の向津具(むかつく)の二尊院というお寺に2冊の古文書が残されています。これは今から約230年前(1766年)当時の二尊院福林坊55世住職恵学和尚が、この地に伝わる話を古老から聞き取り書きとめたものです。 ▲楊貴妃の里に建立されている「楊貴妃像」 唐渡口に漂着した楊貴妃日本で云えば奈良朝の昔、唐の国では天宝15年(756年)7月のことじゃったげな。向津具半島の岬の西側に唐渡口(とうどぐち)ちゅう所があってな、そこへ空艫舟(うつろぶね)が流れ着いたげな。 舟の中にはな、長い漂流でやつれておられたが、たいそう気品のおありなさる、それはそれは美しい女人が横たわっておられたそうな。 お側の侍女が申すに「このお方は唐の天子、玄宗皇帝(げんそうこうてい)の愛妃楊貴妃と申される。安禄山(あんろくざん)の反乱により処刑されるところを、皇帝のお嘆きを見るに忍びないで近衛隊長が密かにお命を助け、この舟で逃れさせ、ここまで流れ着きました。」と涙ながらに云うたそうな。息も絶え絶えの楊貴妃を里人たちは手厚く看護しましたがの、そのかいものう間もなく息を引き取られたげな。そこで里人たちは、西の海が見える久津の丘の上にねんごろに葬ったそうな。それが今、二尊院の境内にある楊貴妃の墓と伝えられておる五輪の塔でのう。 いつとなく「楊貴妃の墓に参ると願い事が成就する」というのでの、多くの人が参詣するようになったと申しますいの。

